「ちょっと本気と書いてマジな話」
山本はにわ FONT:「麓流隷書」推奨(笑)
「愛」ってなんだろう?
考えてみた
「好き」ってなんだろう?
考えてみた
やっぱり、「好き」と「愛してる」は違うのかな?
考えてみた
考えてみた・・・
考えてみた・・・・・・
考えてみた結果なんとなくこう思った。
「愛」って思いやりの心なんじゃないかなぁって
「好き」はその時の感情
長続きする「愛」って、お互いを尊重し合える「心」じゃないかなぁって
「好き」は、自分本位の感情だったりして、自分が相手を好きなのであって
相手の感情はあまり関係ないような気がする
だから、「好き好き光線」の撃ち合いをしていると最初は楽しいかもしれないけど
そのうち疲れたり、弾が当たって傷ついたり
関係ない人に流れ弾が当たったり
時には致命傷になったりしたりして・・・
自分は沢山撃っているのに、弾が打ち返されて来ないと、急に不安になったりして
それから時には、撃ちすぎて弾切れになったり
だけど、「愛」は、相手本位で、多少は自分を犠牲にする部分もあったりして
そして、思いやりは、重い槍だから、なかなか上手く飛ばせなくて
投げては、あさっての方向にコースアウト
投げては、相手に届かず
投げては、飛びすぎ
投げては、勢いが強すぎず相手が取れなかったりして
その内、疲れちゃったりなんかして
だけど、その重い槍がきちんと相手に届いて受け止められた時
その互いのやり取りの繰り返しで、相手を知り守備範囲も広がったりして
お互いを思いあって、そこになお「好き」という感情があったとき
おじいちゃん、おばあちゃんになって、縁側で猫をひざに抱えながら
「今日もいい天気だねぇ〜」
なんて言いながら、お茶をすする
そんな、二人になれるのかもしれないなぁなんて
「死ぬときに、君のおかげで良い人生だった」
そんな、台詞残して死ねるのかなぁなんて
「好き」という「裸の両刃の剣」を送るんじゃなくて
「好き」を収納した、「思いやりという鞘」付の剣を渡してあげると
渡された相手は、今日も明日も明後日も安心して生きてゆけるのじゃないかなぁって
<好き×∞(無限)=愛してる> という公式は、
実は <好き+思いやり→愛してる> 何じゃないかという、勝手な理論が出てくる
そんな僕が、恋愛をしないというか出来ないのは、後者の「愛してる」と言える
自分で居たくて、そんな恋愛がしたくて・・・
それは別に、男女の間だけではなく、親子にしろ友達同士にしろ当てはまったりして
だけど、やっぱり「重い槍」を投げるのはとても難しくて
人って心に余裕がないとなかなか他人に「やさしく」なれなくて
やさしくなれないと、他人を思いやる事も難しくて
他人を信じることも難しくて、地雷を仕掛けてみたり、手榴弾を投げてみたりしちゃって
関係のない人まで巻き込んだりして
そんな自分に嫌気がさしてみたりして・・・
結局は、こんな考えも、単なるエゴにしか過ぎなかったりして
そんな余裕のない今の自分には、到底後者の「愛してる」は無理な気がして
好き好き光線の打ち合いは、傷つくのも傷つけるのも怖かったりして
ついつい、その場から逃げ出してしまったりして、それこそ「思いやりのない好意」だったして
そんな、危険物を放置したが為に、他人を傷つけたりして
結局は、理想を盾に逃げている自信の持てない自分が居ることに気付くだけ
いつか、こんな僕でも、自信を持って「愛してる」と言えるようになりたい
例え、考えが古くてもダサくても青臭くても・・・僕はそんな人でありたい
こんな僕はきっとロミオにはなれないだろう。
2001/8/28一部追記
徒然なるままに・・・いやぁ〜詩人っぽい?ねぇねぇ?詩人っぽい?
っていうか、こんなもん見つけんなよ(笑)←っていうかお前がUPするな